スタートリップは何を歌ったのか

 

■スタートリップ


2曲目のプラリネから約4年が経ち、つい先日に3曲目のソロ曲が収録された「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! M@STER SPARKLE 06」が発売されました。

 

「スタートリップ」

 

どこで区切るんだ?という疑問が湧くタイトルなのですが、作詞者のきみコさん曰く3通りの区切り方があるそうです。

詳しくはエムオン・エンタテインメントから発売している『リスアニ! Vol.32.1「アイドルマスター」音楽大全 永久保存版V』で語られています。

ここでは、スタートリップとはいろいろな見え方をする歌だという話をしたいと思います。

 

 

■武道館ライブを終えたジュリア


「武道館ライブ」

それは、手作りの武道館という夢の始まりとは別に、アーティストとして武道館ライブというのは1つのステータスです。

アンフィシアターから始まり、ツアーもやって、武道館ライブもやった。

アイドルとしても、アーティストとしても1つの山を越え成長した視点として歌うのが、1つのスタートリップです。

1つの山をやりきったあと、ふと自分の立っている場所は何によって支えられているのか。

それは、生まれてから今までの全部なのだと、過去を思い出す哀愁とともに歌われているのだと思います。

 

 

■シアターを去ったジュリア


全くの妄想なのですが、これはアイドルを辞めて路上バンド活動に戻ったジュリアが作った曲、と聴くとたまらなく切なくなります。

ちょうど、GREE版ミリオンライブのサービス終了の背景があるので、まったく当てずっぽうというわけでも有りません。

シアターでいろいろな出来事を経験し、たとえアイドルを辞めたとしても、その時の仕草、考え方、歌に値する思い入れ。

手違いでアイドルとしてデビューしてしまったけども、プロデューサーやシアターのメンバーから、いろいろなものを貰った。

今は、シアターを抜けて、でも同じ町にいるけど、なんだか遠くに来てしまった気がする。

アイドルの時ほど上手く活躍できないけれども、あたしはあたしの歌を探す旅を楽しんでいるよ。

そんな風に取られられる歌だなと思いました。

 

 

■アイドルとしてのジュリア


最初の話題に近いのですが、流星群、プラリネで「ロックなアイドル」というジュリアらしさ歌った後、「エスケープ」や「待ちぼうけのLacrima」でアイドルとは何かを経験したわけです。

それは、プロの活動としてジュリアが思い描いていた夢と、現実に行ったことのギャップです。

良いか悪いかはおいておいて、自分の可能性を感じていたはずです。

自分だけのメロディー、ロック歌手というだけではなく、あたしにできること。

経験したことで自分の未来を想像できはじめた。

過去を振り返るようで、ジュリアらしい未来をほんの少し想像しはじめた。

そういう歌のように聴こえました。

 

 

以上

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